こんにちは! ZIMYです。
このブログでは私がおすすめするクォリティオブライフ&ウィルダネスを紹介して行きます。
はじめまして、多摩蘭坂60’ZIMYと申します。
まずは自己紹介・・・なんて面白くないですよね。
ですのでここでは、ZIMYの経歴をドラマチックにまとめてみました。
ではご覧ください。
【ZIMYの波乱万丈(チョット大袈裟】物語】
【幼少期】
生まれは東京新宿、物心つかないうちに都下(区ではないところ)
に移り住む。
昭和30年代は近所に林や草っぱらがたくさん残っており、虫取りや秘密基地ごっこにあけくれていました。
生まれつき虚弱体質でしょっちゅうお腹をこわしていて、超スリムだったので骸骨とよばれていました。
その上やることが遅く、何事も後ろから数えた方がはやかったです。
【小学校時代】
算数の九九がなかなか覚えられず最後まで教室にのこされました。
小学校の成績は悪かったですが、親の放任主義のおかげで「勉強しなさい」と言われた記憶はありません。
そのころは学習塾なんてものはなく、教育熱心で裕福なご家庭のお子様は家庭教師を頼んでいるようでしたね。
まあ、のんびりした時代でした。
さすがに不甲斐ない息子をみて、父親は私を警察署の剣道教室に通わせました。
たいして効果はなかったと思うのですが、剣道は高校まで続けることになります。
【中学時代】
中学校の1年の担任は東北出身の英語の新人教師で、クラスのみんなで「ピーナッツ」とあだなをつけてなまっているのをおもしろがっていました。
私はというと相変わらず勉強が苦手で、中学1年で習う英語のアルファベット暗唱できなかったんです。
どんなきっかけだったか記憶はさだかではないのですが、成績は常にクラスのトップ10に入るようになりました。
英語や国語は良くなったんですが、あいかわらず数学だけは苦手でした。
そのころは中学での成績が割と良いと都立高校に進学希望するのが普通で、私立高校は滑り止めなんて呼ばれていたんですよ。
今とは隔世の感がありますね。
なんとか志望する都立高校に進学することができました。
【高校時代】
小学校、中学校は近所の幼馴染みばかりでしたが、高校は電車通学です。一挙に世界が広がりました。
ここで出会った友人たちが今でも親友と言える大事な存在になります。
体は丈夫になりましたが身長182c、体重55kgと、まさに超超スリムでクチの悪い先輩から、スキーの板だの割り箸などと呼ばれていました。
剣道部に所属していましたが、マン年補欠でした。でも女子にはモテまくり!
人生のピークだったような気がします。
【大学時代】
希望した大学は全て不合格!!
とりあえず、3流大学に入学したものの暴力的な応援団に目をつけられ、不登校になりまるまる1年学校にいかず引きこもりに。
いつも家にいるので高校時代の友人から車の改造をしないかと誘われて作ったのがレンガ模様のこの車。「ZIMY’S HOUSE]
カスタムカーメーカーの社長の手を借りて半年かかりました。
この車で友人たちと日本各地を旅行したのが旅好きの原点となります。
【社会人】
1年休学はしたがどうにか大学は卒業。
就職は希望の会社はすべて役員面接まで行ったものの不合格、まあ生意気な学生だったので好感度低めでした。
3月に入って最後に受けた会社も専務と口論したので不合格と思いきや、なんとか入社。
配属された現場は週休1日、残業月100時間以上という、今で言うブラック職場。
ただ一つの楽しみは、連続勤務をしてためた休日をつかって行く海外旅行。
結婚しても、子供が2人いても平均年2回行ってました。
訪れた都市はは40ヶ所以上になります。
でも、仕事のストレスと疲労がたたって重症の鬱に、通算2年も休職してしまいました。
【リタイア後】
36年間在籍して定年退職の年齢になり、会社から提案された延長雇用の条件は、従来の仕事と同じで給料3分の1以下!!
交渉を繰り返すも社会一般の通例ということで決裂。5年間の延長することなく退職。
退職したものの、60歳以上の新規雇用はおもいのほか厳しく、おまけに親の介護で就職を一時断念。妻のパートと年金が頼りの生活となりました。
以上
最後までお読みいただきありがとうございました。