アンパンマンの誕生に繋がった体験とは
3月31日からスタートしたNHK連続テレビ小説『あんぱん』。この作品は、日本の国民的アニメ『アンパンマン』の生みの親として知られるやなせたかしさんと、その妻・暢さんの人生をモデルに描かれたドラマである。二人が激動の時代をどう生き抜き、いかにして“愛と勇気”というテーマを体現していったのか、その歩みを丁寧に追っていく内容になっている。
やなせたかしさん(本名・柳瀬嵩)は1919年、高知県で生まれた。新聞記者だった父親が当時、特派員として中国へ単身赴任中であったため、母と弟とともに高知へ戻っていた矢先、関東大震災に見舞われた。その後、わずか5歳で父を病で失い、さらに母は再婚して家を離れることになり、やなせさんと弟は、医師をしていた伯父夫婦のもとで育てられることとなった。
幼い頃のやなせさんは、非常に内向的で人見知りが激しく、集団生活や人前に出ることを極端に嫌う性格だった。自分の内面を表現する手段として絵や詩に親しみ、やがてそれが彼の人生の方向性を決定づけていく。18歳になると、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)に進学し、デザインの道を志すようになる。
卒業後は製薬会社の宣伝部に就職するが、すぐに徴兵され、中国大陸を1000キロ以上行進するという過酷な軍務に就くことになる。幸いにも激しい戦闘には巻き込まれなかったものの、戦地での生活は極めて過酷で、何よりも空腹の苦しみが強く記憶に残っているという。そして、戦時中に痛感した「正義とは時と状況によって容易に覆るものだ」という認識が、やなせさんの価値観に深い影響を与えた。
このような戦争体験は、後の代表作『アンパンマン』の核となる思想へと結びついていく。終戦後の1946年、やなせさんは復員して高知新聞社に入社し、同社が発行する『月刊コウチ』編集部に配属される。そこで出会ったのが、後に妻となる暢さんだった。彼女は短距離走の俊足で“韋駄天おのぶ”の異名を取り、地元では“ハチキン”と称されるほどのエネルギッシュな性格の持ち主だった。
やがて暢さんが代議士秘書になるために上京するのを機に、やなせさんも東京へ移り住み、二人の結婚生活が始まる。28歳のときに三越の宣伝部へ入社し、デザイナーとしての才能を発揮。仕事の効率が非常に高く、空いた時間には漫画を描いて投稿したり、他社からのデザイン依頼を受けたりすることで収入も増え、月給の3倍以上を稼ぐようになる。そして34歳のとき、安定した職を辞してフリーランスの道を選ぶ。
その後のやなせさんは、漫画だけでなく舞台構成、司会、ラジオの脚本、テレビ出演など、多彩な分野で活動を展開していく。特に興味深いのは、ほとんど経験のない分野にも積極的に挑戦し、多くの人々から頼られていたという点だ。たとえば、人気歌手・宮城まり子さんのリサイタル構成や、若き日の永六輔さんからの依頼で舞台装置を担当するなど、次々と新たな挑戦が舞い込んでいた。
絶望から生まれた「名曲」
しかしその裏側では、華やかな経歴とは裏腹に、やなせさんは常に「自分は何をやっても二流だ」という劣等感を抱えていた。代表作に恵まれなかったことは彼にとって大きなコンプレックスであり、50歳を過ぎてもなお「まだスタート地点に立っているような気がする」と感じていたという。
そんなある日、夜中にふと懐中電灯で自分の手を照らしたときに、赤く透ける血の色に希望を見出し、そこから『手のひらを太陽に』の歌詞が生まれる。この楽曲は作曲家・いずみたく氏によってメロディがつけられ、1962年にNHK『みんなのうた』で放送されると、瞬く間に全国で親しまれる歌となった。
晩年には、最愛の妻・暢さんを乳がんで亡くすという深い悲しみを経験。暢さんに日常生活の多くを頼っていたやなせさんは、夜も眠れず、激しく体重が減少するほどの喪失感に襲われたという。一時は死を覚悟して遺産の整理まで済ませていたが、再び仕事に打ち込む中で、少しずつ心身のバランスを取り戻していった。
「一寸先は光」──やなせさんが何度も口にしたこの言葉は、彼の人生哲学の象徴とも言える。多くの困難や絶望を経験しながらも、そのたびに再生し、常に前向きに生き抜いてきた彼の姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与え続けた。
毎朝6時に起床して、オリジナルの歌を歌いながら体操をし、朝食後には40分間の睡眠。昼食後も昼寝を挟み、夕方には取材や来客対応を行い、夜は深夜0時に就寝するという規則正しい生活を送りながら、93歳まで現役として活動を続けた。
「寂しくないですか?」という問いに対して、「寂しくはないよ。これだけキャラクターがいるんだから」と、棚いっぱいに並んだアンパンマンの仲間たちを指さして笑ったという。
やなせたかしさんの生き方は、まさに“愛と勇気”を体現するものであり、『あんぱん』がその歩みをどのように描き切るのか、今後のストーリー展開にも大きな期待が寄せられている。
やなせ・たかし:1919年高知県生まれ。三越宣伝部を経て独立し、漫画家・絵本作家・詩人・編集者として幅広く活躍。代表作に『アンパンマン』、『手のひらを太陽に』などがある。1973年より『あんぱんまん』をフレーベル館の月刊絵本に連載。1988年よりアニメ『それいけ!アンパンマン』がスタートし、国民的人気を得る。2013年、94歳で永眠。